【コラム】KENZO歴史秘話

2010-05-14

KENZO歴史秘話 4.―当時のラジオ・TVのスタジオはどんな?!

日比谷通りの内幸町NHKのスタジオがあった時代の話です。

当時のラジオ録音は生放送もあり、緊張しながらリハーサルに続く本番という過酷な状況での録音でした。 小学校を早退して録音に出かけることもありました。 録音して後で放送する場合でも、オーケストラの皆さんがスタジオ入りしてその場で楽譜をもらい練習してから、歌と合わせて、同時録音でした。 スタジオ内は、集音レベルが低い大きなマイクのために、他の音が入らないように、つい立が物々しいバリケードのようでした。 

もちろん一人でも誰かが間違ってもNGです。 (´;ω;`)ウウ・・・

モニター室からマイクを通して、「はい、いきます!テイク○○」という乾いた声の前後の無音の数秒間が、緊張感に襲われるようでした。  ようやくOKが出ると、本当にホッとして、スタジオから開放されます。 出演料は無く、NHKのマークの文房具セットや写真アルバムをいただき、それが励みになっていました。 o(*^▽^*)o

帰りにはタクシーが出て、ちょっと嬉しかったです。

NHK教育TVの収録では、さらに緊張の連続でした。(^-^;

音源は事前に録音して、当日は生放送です。 いわゆる「口パク」です。 

先に録画して後日放送する今の方法が出てくる前の時代でしす。w(゚o゚)w  

スタジオ内は照明の熱であっちっちっち まぶしく、目がくらみます。

汗が出ると、メイクさんが飛んできて取ってくれます。 

TVカメラはでっかく、キャスター付きで太い配線がつながっていて、ADさんたちが配線をさばいています。 放送しているカメラには赤い電灯が点いて、カメラ目線の時はそちらに向きます。 

立ち位置に印がつけられ、リハーサルは何時間もかかります。 

新調した子供服も汗でびっしょりになってしまいます。 

テレビカメラの向こうには、日本全国の人たちがいるんだと思った瞬間、あがってしまいます! 

本番までにそこを意識しないように、自分をだましていくのです。 今を信じて結果を憶測しない」 これが極意でした。

では次回は、NHKラジオ番組子供腕比べ声比べで全国優勝したお話と「馬と少年」の主役に選ばれた話をしましょう。(o^-^o)

つづく

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2010-04-28

KENZO歴史秘話 3.―東京オリンピック開会式に録音!!?

毎週火曜日に赤坂見附まで「松の実こども会」のお稽古に通い、年に1回歌の発表会があり、楽しいお稽古通いの生活でした。 松田トシ先生の放送や演奏会の前座のようなお手伝いで歌うことも度々ありました。 

まだ東京に都電が走っていた時代です。 一時トロリーバスも走っていた記憶があります。 小学3年生の時でしたか、日本が世界に認められる大イベントが開催されました。

オリンピックです

多くの都電が廃止され、首都高速道路が建設され、多くの運河が埋め立てられました。 東京中が建設ラッシュの時代です。 

その年に、キングレコードの専属童謡歌手になることになりました。 キングレコードの音羽のビルに、ディレクターと松田トシ先生に連れられて各部署へ挨拶回りして恥ずかしかった記憶があります。 専属歌手になって最初の録音がなんと東京オリンピックの開会式当日でした。 レコーディングの休憩時間に、テレビ中継を見ていました。 なんでこの日に!

曲は童謡「ままごと」。 エレキベースギターの音が耳慣れていなかったので、リズムに合わせるのが難しかったのが懐かしいです。

椿山荘庭園でキングレコード専属歌手たちが招かれてパーティーがありました。 スターたちに混ざって、小太りのかわいい少年石井健三も仲間入りしていました。 記念に配ったスター全員のサインが入った扇子の中には倍賞千恵子さん、ボニー・ジャックスさん、丸山明宏さん、岡村喬生さん、坂本博士さん、もちろん松田トシ先生、片隅に健三少年のサインも確認できますよ! 

長老猫のサインは10万回以上ありますが、この記念扇子は超~レアなお品ですね。

次回はNHK放送局での録音話ですよ。o(*^▽^*)o    

つづく (TωT)ノ~~~ バイバイ

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2010-04-20

KENZO歴史秘話 2.―初レコーディングは何と‥48年前!!?

私の録音としては、自宅でテープレコーダーに「赤銅鈴之介」(ラジオドラマ?)のテーマソングを赤ちゃん言葉で録音したものが今も残っています。 「あかどう、ちゅじゅのちゅけ!」と歌っております。 

なんでも聴いた歌をすぐに歌ってしまう子供だったそうです。 それなら歌のお稽古に行かせようと親が連れてってくれたのがうたのおばさん松田トシ先生」だったのでした。(。・w・。 )

松の実こども会の同期には、歌舞伎俳優中村勘三郎さん(当時は勘九郎ちゃん)も一緒にお稽古した時期もありましたよ( ^ω^)おっおっおっ

話を本題に戻して、公式初レコーディングは「よい子のうたⅠ」(唄:松田トシ先生と松の実こども会、演奏:南十字星)という現代芸術社(キングレコードの前進?)が出したソノシートです。

昭和36年11月15日発売されました。 

その中にある独唱「どんぐりころころ」になります。 まだ幼稚園のあどけなさの残った歌い方とことば使いが可愛いです!(o^-^o) 

文京区の音羽の坂を登った奥に当時のスタジオがありました。 たぶん今は首都高速道路が走っている所だと思います。(・_・)エッ....? まだ首都高速なんてなかったじだいです

 

うっそうとした林の中に木造のスタジオで、裏の庭にはカタツムリがたくさんいて遊んだ記憶があります。 

同時録音しますから、演奏者の一人でも失敗するとNGになります。 カラスが鳴いてもNGです。

随分長い時間をかけて1曲1曲録音していきます。 幼稚園をお休みして何日か録音に出かけたのでした。

 

次は東京オリンピックの開会式の日に録音した話です。    つづくさんくす♪(o ̄∇ ̄)/

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2010-04-18

KENZO歴史秘話 1.―デビューから50年?ってどうして?

今私は55歳を迎える年になりましたが、デビュー「ホールなどの公共施設や公共放送などで入場料をとった大勢の人前で初めてお披露目したこと」とするならば、4歳の頃、当時東京蔵前にあった国技館(現在は両国にあります)で「おうまのおやこ」という童謡を歌ったのが最初です。

なんで4歳の子供が?!と疑問を感じると思いますが、ご説明いたしましょう( ̄ー ̄)ニヤリ

実は3歳の時から、歌のお稽古場に通っていましたw(゚o゚)w

当時NHK番組で有名な「うたのおばさん」の松田トシ(現在敏江)先生の教室「松の実会」という千代田区紀尾井町にあるお稽古場に通っていました。赤坂見附から弁慶橋を渡って、清水谷公園の向かいです。

現在はホテルニューオータニの別館に挟まれた松田ビルになります。でも当時は小さなお堀が小川のように流れて、めだかやカエルが遊んでいました清流でした。アヤメが咲き誇り、清水谷公園からはいつも清水があふれ出ていた旧武家屋敷街でした。先代尾上松緑さんのお屋敷や先代水谷八重子さんのお屋敷とお隣同士の松田トシ先生のお屋敷の中の奥にお稽古場がありました。

その松田トシ先生の前座として歌ったのでした。 童謡歌手としてのキャリアとキングレコードの専属童謡歌手になれたのも松田トシ先生のおかげでした。岩崎宏美さんよりずっとずっと前からお世話になっていたのでした。

これがデビュー50年になる理由です

次回はキングレコードの最初の録音風景をお話いたしましょう。続く(TωT)ノ~~~ バイバイ

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